コルクラボマンガ専科の講座を通じて描いたマンガの振り返りをしています。途中から来られた方は前の記事もどうぞ。
振り返り記事一覧はこちら
日々マンガ編②の感想

マンガの型の練習は面白い。これは「なぜ〇〇だったのか、物語の最後になると分かる」型の練習。
それとは別に線の使い方が今に近くなってきている。結構ペンの太さや感度の設定は大事だね。あとネット掲載用に左右の余白をクリッピングなんかし始めて大人ぶっちゃってるのが可愛い。

こういう感情大好き。後悔ともまた違うんだよね。自分はあの子と合わない人間だったんだなあとしみじみする、みたいな。
ちなみにカラーリングはクラスメートの真似。悪くないと思うんだけど、イマイチ自分では使いこなせなくてそのうち止めちゃうやつ。


10代の頃に書いた日記をベースに作ったマンガ。当時のテキストサイト的な面倒くさい文章だったんだけど、それをマンガにするのは凄く大変。多分日記の持つ面白さを表現しきれてないと思う。文章の面白さとマンガの面白さは全く異なるものだと思い知った。

普段全く悩まない自分がグジグジ悩んでることが面白かった、っていうことを伝えたかったんだけど、結構難しかったなあ。
分かりやすく面白いのってもっと単純な感情なんだよね。怒りとか悲しさとか。僕はこういう中途半端で複合的な感情が好きなんだからちゃんと伝えられるようにならなくちゃね。

背景の省略具合がこなれてきやがった。でも僕が当時直面した面白さや衝撃さを伝えきれてないなあ。なんというか緊張と緩和のコントラストが足りない。1Pに無理があったかな。

説明イラスト。マンガを描き続けることでこなれてきたおかげか、結構分かりやすく描けたと思う。

自分が自分の言いたいことを言うためだけのマンガ。それって結構大事なことで、まず自分を納得させないと次に進めないよねっていう講座でした。
だから文章に挿絵だけって感じのいかにもエッセイマンガな形で今回は良いんだと思う。

手軽に描いた4コマ。おもしろさ加減も手軽。でも好き。

出来事→出来事に対する受動的感情→受動的感情を受けての能動的感情、この流れが出来てないとストーリー本位なマンガになっちゃうよという典型。
結構エッセイマンガっていう「ストーリーが既に決まっているもの」で陥りやすいんじゃないかな。

「味見してたらいつの間にかキッチンでご飯食べちゃってた」っていうマンガなんだけど「ようは幸せ自慢ですね」ってコメントが来て「本当にその通りやで」って思った。


エッセイモノってどこまでも自分が主役なんですよね。語るのも自分、映るのも自分、自分、自分。だいたいのエッセイが自分大好きなマンガなんです。それは別に良いんだけど、そのせいか周囲の人の感情や反応の描き方がおろそかになりがちで、今こうして読むとまさにその典型だなって思った。

この態勢であれだけ名作を描いた葛飾北斎まじで凄い。

この頃から妻と共同でマンガを作り始めることに。これは原案が妻、マンガにしたのが僕。
経緯としては、妻と散歩していたら人の家からごま油の匂いがして「この匂い、おじさんがただただごま油を熱してたら面白いね」という妻の言葉から生まれました。
あと講座のおかげもあって絵が上手になった。

筆ペンでカラー原稿の練習。結婚してよかった。

これが最後の日々マンガ。もうお尻痛すぎて更新止めちゃった。お尻痛すぎてとりあえず完成させた雑なマンガで更新が終わるというのが僕らしくて好き。
日々マンガ編②まとめ
後半の方が同じ作業時間内で出来る内容が増えているのが嬉しい。絵も上手くなってきていると思う。気付いた点としては
- カラーの方が豪華に見えるし、書き込み量を減らせるので積極的に使っていくべし。
- 自分の言いたいことを言語化するっていう基本行動は大切にしよう。
- インドのマンガなんかは他の面白い作品の型を真似して成長させよう。
- ストーリーありきでキャラは絶対動かさないこと。出来事→受動→能動の流れを徹底させよう。
- 自分大好きなのは別にいいけど、それで作品の幅を狭めるのはやめよう。ちゃんと他人(キャラクター)を描く練習しないとね。
[…] 日々マンガ編②に進む > […]